TAIHO ENGINEERING
× FREE STYLE

もう外部の人じゃない。
会社の一部なんです。

  • 代表取締役

    惠美智子 様

    金融機関勤務を経て2006年に入社。財務責任者として経営危機を支え、2019年に社長就任。赤字・体制崩壊の中で再建を主導し、現在は堅実な財務基盤と信頼される組織づくりを牽引している。

会社の命運を背負ったその日から、頼れる人はいなかった。

赤字、分裂、深まる孤独 ──。

「それでも歩みを止めるわけにはいかない」と
立ち上がった惠美社長を、そっと支えてくれる存在があった。

財務コンサルタントではなく、共に悩み共に考える人。

FREE STYLEとの僥倖の出会いは、再建の第一歩だった。

先の見えない経営状態のなか、
思いがけず一筋の光が差し込んできました。

———はじめてFREE STYLEの堀田さんと出会ったとき、何を感じましたか?

惠美社長:

あのセミナーの日のことは、今でもよく覚えています。2018年当時、当社は1500万円の赤字を抱え、社長は病気で出社もままならず、赤字の原因をつくった取締役には辞めてもらったばかり。まさに混乱の真っ只中でした。

セミナーに参加したのは「経営者になるための覚悟を固める」ためでした。でも、会場で最初に堀田さんを見たとき、セミナーの参加者の一人かと思ったんです。後ろの席に静かに座っていて控えめな感じだったもので。ところがその方が開始時間になると檀上に立ち、講師として話し始めたのです。「この人が? 」と驚きましたが、話を聞くうちに一気に引き込まれました。話には説得力があり資料もわかりやすく、何より情報を出し惜しみしないで共有してくれる。その姿勢に「この人は信用できる」と直感しました。私は人を見るとき、直感を大事にしていますが、あの時は迷いなく即断でした。

実際に話をしてわかったのですが、立ち居振る舞いに一切の嘘がないこと。相手の目を見て、誠実に向き合ってくれる人でした。財務は私が担っていて、社内にも社外にも相談相手がいませんでした。税理士や金融機関は当然ですが、“守り”の話が中心で前に進むための視点がなかった。そんなときに出会ったのが堀田さんです。

理想論ではなく、日々の営みに寄り添う、
実感のある支援でした。

———ほかのコンサルタントと、どこが違いましたか?

惠美社長:

一般的なコンサルタントの方は理想を語る方が多いです。「退職金制度はこうあるべき」「人事制度を整備しましょう」と。でも、私たちのような中小企業は、まず毎日の資金繰りや、社員をどう守るかが最優先なのです。堀田さんはそこをしっかり理解してくれました。話していて「ああ、この人はわかってくれている」と感じられる。経営の理論だけでなく、日常の悩みを共有できる人です。赤字でも、借入でも、社員のことでもちゃんと話せる。そして数字のことも現実に即して落とし込んでくれるんです。

堀田:

僕が重視してるのは、会社の現実に入っていくことです。もちろん、資金繰りや財務分析はします。でも、数字だけじゃ会社は変わらない。現場を見て、空気を感じて、社長が何に悩んでいるのかを共有しないと、根本的な解決にはなりません。

実際、経営判断には嫌なことも伴います。役員報酬を見直した方がいい、とお願いした社長もいます。でもそれを正面から言えるのは、信頼があってこそ。僕は「言いたくないことも言う」と決めて仕事をしています。

「FREE STYLEノート」に刻まれた、
再建への確かな道筋。

———FREE STYLEさんの支援で、特に印象に残っていることはありますか?

惠美社長:

FREE STYLEノートが7年分あります。毎月来ていただいて、資金繰りの話をして、赤ペンで「ここをこうすれば乗り切れます」とノートに書いてくれる。そのたびに何度も救われました。

そんな中、私自身が入院。そして退院した翌日社長が急逝。すぐ株主総会を開き代表に就任しました。会社の統制は徐々に崩れ始めましたが、支えてくれた社員たちがいた。だから「このメンバーで再建しよう」と決めた。正直に言えば、私ひとりでは到底立て直せなかった。労使間の問題対応、就業規則の見直し、社会保険労務士事務所の変更⋯それらを一つひとつ整えていく中で、FREE STYLEさんが紹介してくれた専門家の皆さんと歩んでいきました。あの支えがなければ今の体制は築けていけなかったと思います。

堀田:

前の社長が突然亡くなられて、惠美社長が代表に就かれたとき、僕からご提案したのは「保障と積立を兼ねた保険」でした。連帯保証がある以上、もし何かあったときに、個人にリスクが跳ね返ってきます。その対策としても資産形成としても、必要だった。
当時はご病気の履歴もあって、選択肢は限られていました。でも「何かあったときのために」と導入したものが、結果的に満期になって、再投資にもつながった。それはうれしかったですね。

7年間の伴走で、
救世主から会社の一部へ。

———振り返ってみて、FREE STYLEさんはどんな存在だと感じてますか?

惠美社長:

最初は「救世主」と思ってました。でも、今は「会社の一部」です。社内の数字を最も深く見てくれてるのが、堀田先生(普段は”先生”と呼ばせていただいています)は、私が判断に迷ったときも「この数字があるから前に進めますよ」って言ってくれる。先生の数値的根拠を得て何度も背中を押されました。

堀田先生は、はじめてお会いしたセミナーのときと変わらず、ずっと同じ目線で接してくれています。こんなに長く信頼関係を築ける人に出会えるとは、当時は思ってませんでした。

堀田:

僕は大手の保険会社にいましたけど、資料も提案も制限が多くて、お客様の役に立てている実感がなかった。だから独立しました。今は自分で考えた資料を自分の責任で提案できる。波風を立てるな、とよく言われました。でも、本当にお客様のためを思えば、踏み込まなきゃいけない場面はあります。僕にとって、FREE STYLEノートを毎月つけてくださるお客様がいるというのは、本当にありがたいことです。

経営とは、孤独な決断の連続。

だからこそ必要なのは、数字で支え、現場でともに悩み、
的確なタイミングで「安心して進める」と確信をもって言ってくれる存在だ。

コンサルタントではない。
会社の一部として、7年にわたり伴走してきたFREE STYLE。

その確かな積み重ねが、今のタイホーエンジニアリングを支えている。